いわゆる「理系っぽい」のプロトタイプっていくつかあります。
コミュニケーション苦手、
理屈っぽい、とか。
当然理系の中にもいろんな方がいるので、
イメージそのままという方もいれば、
全然世の中のイメージに当てはまらないよ!という方も多くいます。
ただ、言われるたびにもやもやするものがあって…
それは…
「白黒つけないと気が済まない」
おそらく高校までの数学では
「解」が一つに決まっていることに起因するのかと思います。
学校教育での「数学」のイメージだけで考えると、
理系=白黒決まってるとなってしまうのかな。
でも大学に入って、また社会に出て思うのは、
「分かってることのほうが少ない」
「白黒つけられることなんてほとんどない」
私の身近な領域でいえば、
薬の作用機序や副作用の機序なんて、明らかになってるのはごく一部。
長ーく使われているような薬でも、
新たな副作用が添付文書に追記されるなんてことはざらにあるし、
実はこんな疾患にも効くのかも!なんてことが取りざたされたりします。
ドラッグリポジショニングってやつですね。
ガチで理系の人ほど、
はっきり白か黒か断言するってことができない気がするんです。
でも医療の場ですがりたくなるのはきっと、
「これをすれば治ります!」「この薬が効きます!」って
「断言してくれる人」なんですよね。
怖くてそんなこと言えない。
ところで、分からないことが多いのを知ってるからこそ、
どうにかしてそれを分かろうとするのを職業としているのが理系研究者です。
理系研究者が書いたおもしろい本があるのでご紹介します。
遠心分離機を使ったら雑味のないおいしいコーヒーが飲めるんじゃないかとか、
自転車の振動を使ったら生クリームからバターができるんじゃないかとか、
食べ物に関する欲望9つを科学の力で探求する、という内容。
著者は正真正銘の生物学者。
どのネタもとってもおもしろいのですが
さすが生物学者!と思ったのが、
「第3章 自家製納豆の最適解」。
著者は普段酵母菌を研究に使っているそうです。
せっかくだからパンとか作ってみるかと思い立つも、
オシャレ感にくらくらして撤退、
「大阪環状線の高架下のようなジメジメとした世界で菌と楽しく戯れたい」と
自家製納豆に挑戦することに。
天然の藁についた納豆菌※、市販の納豆、純粋な納豆菌それぞれをもとに納豆を作る。
※天然の藁についた納豆菌でつくった納豆は安全性の観点で食べてはいけない
自家製納豆を作っている人ならば時々ネットでお見掛けします。
この著者がさすが、と思うのは納豆を作ったあと、
食中毒の原因となるサルモネラ菌がいないか確認していること。
最初に自宅で常に40℃になっているところを探し回り、
(保温中の)炊飯器の蓋の上、液晶テレビの裏の2つが候補となります。
「炊飯器の蓋の上」というのが嫌な予感がしますが、
その予感は当たり、このあと「ごはんを炊きたいと嫁が言い出した」ので
いったん移動することに。
そして無事に納豆はできるのですが、
結果としてはやはり、
天然の藁についた納豆菌で素人が納豆を作っちゃダメ!というもの。
市販されている納豆のありがたさが身に沁みますね。
そのほか、インスタントラーメンにお湯を入れると
学生が来たり教授が来たり電話が鳴ったり…ということから
「いったい何分までならインスタントラーメンは人道的な食べものでありえるか」
という謎に挑んだ「第4章 インスタントラーメンの限界点」も必読。
結果は本を読んでほしいのですが、
食べ終わりまでおいしく食べられるように計算している
カップラーメンの会社ってすごい!!と感謝の思いにかられます。
日清のカップヌードル食べたくなってきた。
やはり理系の性として、
解明されていない問題があったらその解を求めたい。
でもそれが白黒つけないと気が済まないということになるのかというと、
ちょっと違うと思います。
現時点でのベストを追い求めたいというのかな。
その点では文系も理系も同じだと思うのです。
要するに、理系も文系もいろんな人がいるので
理系って○○だよね、というプロトタイプで人を語るでないよ!
文系だって「文系だから計算苦手だよね?電卓貸してあげる」とか
「文系だから数字見るの嫌だよね?予算書は代わりに作ってあげるね」とか
言われたら嫌でしょ?
なぜ理系だけプロトタイプで一括りにされてしまうのか。
…世間の人数でいえばマイノリティーだからなんだろうなあ。
(仕事でコレ絡みでもやもやすることがあったので語気強め)
